2012年11月29日木曜日

2012年11月29日

実は、僕は20年以上前にPIになってからもずっと継続的に自分で実験もしていたが、3年半前に日本に来てからは、自分ではまったく実験をしなくなった(で きなくなった)。そのせいで、現場での大中小の発見を最初に自分で目にする興奮はもう味わえなくなった。いつも、ラボの助教の先生、研究員、学生さんたち が現場で最初に目にした発見を後で見せてもらうというふうに二番手になっている。それが、かなりストレスなのだけど仕方がない。

自分でやった実験の結果を世界中で最初に目にするドキドキ感と興奮はなにものにも代え難く、それに中毒になって研究者をやってきたのだが、それがないのは寂しい。しかし、PIとしての他の責任(研究費を稼いできたり、、、)があるので仕方がないのかな、、、、。

2012年11月28日水曜日

2012年11月28日

米国では、学生さんを手取り足取り指導すると、「ほっといてくれ!そんなん、自分でできるわい!」ととても怒られ、嫌がられる。Don't patronize me!と怒られる。つまり、自分のことを信用してくれてないと思うので怒る。

逆 に、日本では、手取り足取りしないと、学生側からすると、放ったらかしにされてて、指導されてない、と不平不満をいう学生が多い。聞いてみると、会社でも そうらしい。つまり、日本は、全てが受け身なんですね。社会全体、教育全体が、受身人間を育てて、のさばらしてるんですね。

僕は、学生をpatronizeしないので、大学の他の教員の人達に、「Tom Satoは学生の指導をしていない、けしからん!」と言われている。そういう教員の人たちは、その人たちが若い頃、上の人たちにpatronizeされて育ったのかな、、、?

2012年11月27日火曜日

2012年11月27日

大学院にきて研究するということについて。

研 究するという時点で、すでにその行為自体が社会と密接に関わってくるわけで、それなりの自覚をもって責任ある行いをするべきである。研究のお金は国民の税 金である。授業料を払ってると言ったって、そんな金額は研究には全く足りない。授業料を払って研究しているのではない。国民の税金で研究しているのであ る。

研究は大学に守られて勉強するということとは大違い。学生だけど、そういう意味では、研究して論文を書くという行為に関しては社会人なわけである。

したがって、社会人としての自覚と責任をもって研究できない人は大学院にきて研究に従事してはならない。そういう、自覚と責任のもてない学生は、学生として授業料払って、その払った分だけ授業受けて、実習として実験してレポートを提出して単位をとっていればよい。

2012年11月26日月曜日

2012年11月26日

いろいろと読んだり聞いたりしてるけど、日本国民の原発、税金に対する関心はかなり高い。

2012年11月25日日曜日

2012年11月25日

日本の大学では「教育、研究」と一般にいわれている。これは、学生の教育を中心にし、教育を基盤に研究を行うということだと思う。

大学(つまり学部)では、それが当然で、教員も教育をすることで給料が保証されている。それは、僕もありかな、と思う。

し かし、大学院大学でも、「教育、研究」といわれていて、学部と同じように、教育を主軸とした研究であるという認識に基づくのだと思う。これは、僕は間違っ ていると思う。(日本ではそうなんだから受け入れろ!と言われれば、それまでで、仕方がないし、逆らうなら出ていくしかないのだが)

大学院は、学部と違い、研究を主軸とした教育であるべきだと僕は思っている。これは、日本以外の国、米国、ヨーロッパ、シンガポール、中国、韓国、どこでも、大学院はそうである。

し たがって、大学院は「研究、教育」とし、教員の給料の一部(半分程度)は、研究活動への報酬あるいは研究活動をするための費用から捻出する制度へと移行し てもらいたい。それができない教員は研究をやめて教育に専念し、給料も100%教育活動への報酬として出してもらえば良いわけだ。

これほどシンプルで合理的なことができにくいのが日本文化だといわれてしまえば、それまでで、返す言葉がないわけだが…。

2012年11月24日土曜日

2012年11月24日

老化、死に関する紀元前的メタフィジカルな考察。

身体に悪いものの蓄積 < 身体に良いものの摂取 = 成長、生存
身体に悪いものの蓄積 > 身体に良いものの摂取 = 老化、死

(悪いものの蓄積) - (良いものの摂取)
この値がある閾値を越えて不可逆的になった時が「死」

[問題、課題]
身体とは何か?
良いもの、悪いものは定義可能?
「死」は不可逆的?
排泄、摂取の定義は?
生命が誕生する前後で、このメタフィジカルな考察は適用できるか?
閾値はあるのか?それの「単位」は?
などなど、、、、。

2012年11月21日水曜日

2012年11月21日

今、研究関連以外の本を読む時間が全く無し。今は仕方ない。

2012年11月18日日曜日

2012年11月18日

今朝も、ジムで1時間ばかり身体を鍛えて、今はスタバで朝食。

僕は1985年8月に日本を離れてアメリカに行き、2009年4月に日本に来るまでアメリカに住んでた。なので、1985年までの日本しか知らずに、2009年に日本に帰国を決心した時も、1985年までの日本をイメージして日本に帰ってきてた。

しかし現実は違っていた。2009年の日本は1985年の日本とは別の国と言っても過言でないほどいろいろなことが変わり果ててしまっていた。

今思うことは、もし20年後に僕が日本に住んでいると想定すると、その頃には自分は生きていたくないな、とかなり真剣に思う。とすると、二つのチョイスしかない。

1. 僕は70になる前に、死ぬか、流浪の旅に出る。
2. 日本をなんとか自分と同志の人たちとで変えていく。

今の日本のひとつの大きな問題。

国 が持続的に発展するためには、少数のエリートだけではダメで(もちろん必要だが)、普通だけど毎日元気に一生懸命働き、家族を支え、コミュニティーのため に貢献し、社会において責任ある行動をとれる、いわゆる「しっかりした大勢の平均的市民」という中間層のエネルギーがもっとも大切だと僕は思う。

今の日本にもっとも欠けているのは、この中間層が劇的に減少し、弱くなってしまったことかな、と僕は思ってる。この、エネルギーのある中間層を厚くするための、教育、社会保証制度、政策がうまく言ってないのだと思う。

これは、1960年〜1980年代の「イケイケ」ムードにかまかけて(自国の発展を過信し過ぎて)、足元を見失ってしまっていたからではないかと僕は思っている。

「祇園精舎の鐘の声(音)、諸行無常の響きあり」

2012年11月16日金曜日

2012年11月16日

前にも書いたような気がするが、アメリカにいた時に比較すると、今は一日一日が複雑だなと感じる。アメリカに居たときは、かなり物事が単純で、研究をガンガ ンして、良い論文を出して、研究費をたくさん稼いでくれば良かった。極端に言えば、それ以外のことはどうでも良かった。あの頃が、とても恋しい。

2012年11月15日木曜日

2012年11月15日

今日は外回りの営業でした。手応えはまあまあ。

ふ と思ったけど、日本の評価は、100点という絶対的な満点が先ずあって、そこからミスを減点していくんですね。100点以上がないのも変だし、あることで 10点ミスしても、別の部分で50点ゲインしたら40点加算されるということもないいんですね、、、、。10点ミスは10点ミスで他のゲインで補うという ことはできないんですね。これ、めちゃくちゃおかしな評価のシステムですね。

減点方式のシステムは一か所にとどまるだけで、前向きな前進を目指すことができないようになってるんですね。

恐ろしいシステムです。

2012年11月14日水曜日

2012年11月14日

日本にきていまだに「信じられない」と思うことのひとつ。

大学院教授、教員の人たちが、「大学院の学生になんとか学位をとらせるように指導しないといけない」と思ってること。(少なくとも僕の周りでは…)

まあ、日本は多くのことが受け身のシステムとわりきれば、このことも納得できるのだが、、、、。

また、学位を「とらしてもらわないと」何もできない学生がいることもたしかではあるが、、、、。まあ、そういう学生を大学院に入学させる方にも責任はあるが、、、、。

僕は、大学院の学生は「自分で学位をとる」のであって、大学教員は、その過程でアドバイスをしたり、良い研究環境を提供・維持すること、であると信じている。少なくとも、アメリカでは僕のまわりはみんなそういうふうに考えていた。


2012年11月12日月曜日

2012年11月12日

以下、今年3月29日に朝日新聞Webronzaに掲載された僕の論考です。6ヶ月以上たったということで、朝日新聞の許可を得て、ここにコピーします。


日本の大学院教育に物申す


この4月から、東京大学、京都大学、大阪大学、慶応義塾大学をはじめとする13大学で「博士課程教育リーディングプログラム(通称、リーディング大学院プログラム)」が始まる。本プログラムは、その執行機関である独立行政法人日本学術振興会(JST)のWEBサイトによると、「優秀な学生を俯瞰力と独創力を備え広く産学官にわたりグローバルに活躍するリーダーへと導くため、国内外の第一級の教員・学生を結集し、産・学・官の参画を得つつ、専門分野の枠を超えて博士課程前期・後期一貫した世界に通用する質の保証された学位プログラムを構築・展開する大学院教育の抜本的改革を支援し、最高学府に相応しい大学院の形成を推進する事業」である。かみ砕いて言えば、一つの研究室に閉じこもって、訳のわからない、社会の役に立つかどうかもわからない研究を、教授のロボットとして日々黙々と行なっているという日本の博士課程学生の現状を打破し、人類の直面しているグローバルな問題を解決する高度な能力を兼ね備え、産官学で即戦力となる人材の養成を目指すというわけだ。
応募要項には、「広く産学官にわたりグローバルに活躍するリーダーに求められる能力」として、1)確固たる価値観に基づき、他者と協働しながら、勇気を持ってグローバルに行動する、2)自ら課題を発見し、仮説を構築し、持てる知識を駆使し独創的に課題に挑む力、3)高い専門性や国際性はもとより幅広い知識をもとに物事を俯瞰し本質を見抜く力、が挙げられており、平成23年度に13大学で計21件のプログラムが採択され、平成24年から7年間、毎年約60億円が使われる。平成24年度、25年度も同様のプログラムが公募・採択される予定なので、平成25年度には計180億円がこの事業に投入されることになる。
当然ながら、この180億円は税金から賄われる。10年~50年先を見越した将来への、税金による巨額な投資といえよう。したがって、この投資が意義あるものか否かを十分に議論した上で、国が決定されたものでなければおかしいが、残念ながら筆者の目には、以下の理由から、“まったく議論されていない”ように映る。

1)リーディング大学院プログラムの前に、よく似た事業が行なわれていた。「21世紀COECOE)」と「グローバルCOEプログラム(GCOE)」である。「21世紀COECOE)」は、国際的に卓越した教育研究拠点形成のための重点的支援として、平成14年度から開始されたものだ。そして「グローバルCOEプログラム(GCOE)」は、COEの基本的な考え方を継承しつつ、我が国の大学院の教育研究機能をより充実・強化し、国際的に卓越した研究基盤の下で世界をリードする創造的な人材育成を図るため、国際的に卓越した教育研究拠点の形成を重点的に支援することを目的とする事業である。現在GCOEプログラムでは、計140拠点で、年間70億円~420億円の予算が執行されている。この巨額な税金が投資された結果を見ると、“教育・研究のグローバル化”からはほど遠いことがわかる。例えば英語力は、GCOE各拠点の大学院生のTOEIC平均点が450点~650点程度と聞く(いくつかの拠点から筆者が個人的に収集した情報)。これは、たとえばユニクロやソフトバンク、武田薬品工業などのグローバル企業の新入社員採用最低条件(730点~800点以上)や、米国の大学院入学最低ライン(TOEFL iBT 79100点《TOEIC 730880点相当》)に遠く及ばない。何か教育そのものが間違っているといえよう。その反省を踏まえてこそのリーディング大学院プログラムであるべきだが、反省と改善が行われている様子は感じられない。

2)リーディング大学院プログラムは実施期間5年間である。しかし、たった5年で、世界で活躍できる人材など育てられるのか?と問いたい。世界のトップ企業で活躍している海外のエグゼクティブには、Ph.D.(博士号)を取ったあと、さらにMBALaw School(法学部)でLaw degreeを修得している者も少なくない。海外のトップエリートは、専門性を追求しながら自分の得意分野とは違う分野と協力しながら新たな領域を開拓していこうとするのが一般的だ。リーディング大学院プログラムの5年間という短期間で大学院生が得られるのは、せいぜい、表面的な知識と、形だけのスキルであろう。

3)歴史的に見て、学際領域は、様々な分野を“広く浅く”知った人物によって切り拓かれるのではなく、“深い専門性”をもった複数のエリートが集まり、それぞれの得意とするところや強みを活かしながら、協力して創成される。リーディング大学院プログラムで輩出される表面的な博識、つまり評論家のような人物が集まったところで、いったい何ができるというのか。

4)そもそも今の日本の大学教員は、総じて真の意味でグローバル化の感覚を持ち合わせていない。彼らに教育された学生が、どうやってグローバル感覚を身に付けられるのか。まずは教員のグローバル教育、意識改革から始めるべきだろう。また、グローバル感覚をもち、経験も豊富な教員を、大学が積極的に採用する必要がある。

以上の問題はあるものの、評価できる点もなくはない。それは、大学院生に対する経済的支援の充実である。海外の多くのPh.D.コース(大学院)では、ごく当然のこととして、授業料免除と生活費支給が行われている(大学院によって額は異なるが、平均的に、学生一人に支給される生活費は年間$20,000$25,000)。日本のように、2426才の大学院生が親のスネをかじって大学院にいること自体が異常であり、また、スネかじり状態では学生に自立精神や責任感など生まれない。リーディング大学院プログラム採択拠点では、そのプログラムに受け入れられた各大学院生に5年間、毎年250万円~300万円の経済的支援が約束され、授業料も免除されるので、これについては評価に値する。
以上、真の意味でのグローバルな大学院教育の充実は、日本の将来にとって最重要課題だ。現在、日本の国際競争力は世界59カ国中26位である(表1)。調査を行ったスイスのIMD(経営開発国際研究所)は日本の弱みの一つとして、大学教育をあげている。国には、今までの失敗や問題点を具体的に洗いだし(特にCOEGCOE事業における失敗)、その上で、有効な教育への投資プランを国民に見せていただきたいし、国民も、投資家である自覚をもって、厳しい目で国の教育政策をモニターしていただきたい。

2012年11月11日日曜日

2012年11月11日

最近は、トレーニングをサボるとあっという間に体重が減って、それと共に筋肉量が減少する。身体を動かして筋肉に刺激を与えないと自然に筋肉量が減少する年齢にそろそろなったということだろう。

筋 肉量が減ると脂肪が増えやすくなって、いろいろな病気になりやすくなるので気をつけなければいけない。僕くらいの年齢だと、わりと軽めの運動をコツコツと 継続的に続けることがもっとも大切なのだと思う。これから、10年、20年、30年と継続できる運動習慣に適したやり方に方向転換しようと思う。

2012年11月10日土曜日

2012年11月10日

日本に来てから、心に余裕の無くなってきている自分に時として気づく。これは、僕が歳をとってきたせいなのか、それとも、ジャパンという環境が僕に悪さをしているのか、、、、That is the question.

2012年11月9日金曜日

2012年11月9日

最近は、食べ物に飽きてきた。なんか、いろいろと対策を考えてみようと思う。

2012年11月7日水曜日

2012年11月7日

最近は毎日コンピューターと睨めっこしてる時間が極度に長いので、目が非常に疲れる。朝起きた時の目のすっきり度が非常に悪い。

2012年11月6日火曜日

2012年11月6日

サイエンスの基本は「疑う」、「客観性」、「検証」である。なのに、これが日常的にできないサイエンティストがけっこういる。困ったもんだ。

2012年11月4日日曜日

2012年11月4日

僕は家で仕事するときは、Air、Pro、iPad、PCの四つすべてをオンにして仕事をしている。じつは、もう一つ iPad か他のタブレットがあると仕事の効率がもっとあがるのだが…。

2012年11月3日土曜日

2012年11月3日

今日も一日中読みものと書きものに終止しました。疲れたけど、充実した一日でした。

2012年11月2日金曜日

2012年11月2日

研究の世界はオリンピックで金メダルをとらないと意味がない厳しい世界。銀メダルじゃダメだし、オリンピックじゃないとダメ。日本選手権で一番でも、オリンピックで銀メダルや銅メダルあるいは入賞じゃ、ぜんぜんだめ。

オリンピックで金メダルとるためには、やはりオリンピックで金メダルをとることを目指してるもの同士の切磋琢磨が必要。

口では、「相手は世界」と言ってるけど、実際には日本選手権で優勝や入賞した程度で大喜びしてる人達が多すぎ。