日本の大学院教育に物申す
この4月から、東京大学、京都大学、大阪大学、慶応義塾大学をはじめとする13大学で「博士課程教育リーディングプログラム(通称、リーディング大学院プログラム)」が始まる。本プログラムは、その執行機関である独立行政法人日本学術振興会(JST)のWEBサイトによると、「優秀な学生を俯瞰力と独創力を備え広く産学官にわたりグローバルに活躍するリーダーへと導くため、国内外の第一級の教員・学生を結集し、産・学・官の参画を得つつ、専門分野の枠を超えて博士課程前期・後期一貫した世界に通用する質の保証された学位プログラムを構築・展開する大学院教育の抜本的改革を支援し、最高学府に相応しい大学院の形成を推進する事業」である。かみ砕いて言えば、一つの研究室に閉じこもって、訳のわからない、社会の役に立つかどうかもわからない研究を、教授のロボットとして日々黙々と行なっているという日本の博士課程学生の現状を打破し、人類の直面しているグローバルな問題を解決する高度な能力を兼ね備え、産官学で即戦力となる人材の養成を目指すというわけだ。
応募要項には、「広く産学官にわたりグローバルに活躍するリーダーに求められる能力」として、1)確固たる価値観に基づき、他者と協働しながら、勇気を持ってグローバルに行動する、2)自ら課題を発見し、仮説を構築し、持てる知識を駆使し独創的に課題に挑む力、3)高い専門性や国際性はもとより幅広い知識をもとに物事を俯瞰し本質を見抜く力、が挙げられており、平成23年度に13大学で計21件のプログラムが採択され、平成24年から7年間、毎年約60億円が使われる。平成24年度、25年度も同様のプログラムが公募・採択される予定なので、平成25年度には計180億円がこの事業に投入されることになる。
当然ながら、この180億円は税金から賄われる。10年~50年先を見越した将来への、税金による巨額な投資といえよう。したがって、この投資が意義あるものか否かを十分に議論した上で、国が決定されたものでなければおかしいが、残念ながら筆者の目には、以下の理由から、“まったく議論されていない”ように映る。
(1)リーディング大学院プログラムの前に、よく似た事業が行なわれていた。「21世紀COE(COE)」と「グローバルCOEプログラム(GCOE)」である。「21世紀COE(COE)」は、国際的に卓越した教育研究拠点形成のための重点的支援として、平成14年度から開始されたものだ。そして「グローバルCOEプログラム(GCOE)」は、COEの基本的な考え方を継承しつつ、我が国の大学院の教育研究機能をより充実・強化し、国際的に卓越した研究基盤の下で世界をリードする創造的な人材育成を図るため、国際的に卓越した教育研究拠点の形成を重点的に支援することを目的とする事業である。現在GCOEプログラムでは、計140拠点で、年間70億円~420億円の予算が執行されている。この巨額な税金が投資された結果を見ると、“教育・研究のグローバル化”からはほど遠いことがわかる。例えば英語力は、GCOE各拠点の大学院生のTOEIC平均点が450点~650点程度と聞く(いくつかの拠点から筆者が個人的に収集した情報)。これは、たとえばユニクロやソフトバンク、武田薬品工業などのグローバル企業の新入社員採用最低条件(730点~800点以上)や、米国の大学院入学最低ライン(TOEFL iBT 79~100点《TOEIC 730~880点相当》)に遠く及ばない。何か教育そのものが間違っているといえよう。その反省を踏まえてこそのリーディング大学院プログラムであるべきだが、反省と改善が行われている様子は感じられない。
(2)リーディング大学院プログラムは実施期間5年間である。しかし、たった5年で、世界で活躍できる人材など育てられるのか?と問いたい。世界のトップ企業で活躍している海外のエグゼクティブには、Ph.D.(博士号)を取ったあと、さらにMBAやLaw School(法学部)でLaw degreeを修得している者も少なくない。海外のトップエリートは、専門性を追求しながら自分の得意分野とは違う分野と協力しながら新たな領域を開拓していこうとするのが一般的だ。リーディング大学院プログラムの5年間という短期間で大学院生が得られるのは、せいぜい、表面的な知識と、形だけのスキルであろう。
(3)歴史的に見て、学際領域は、様々な分野を“広く浅く”知った人物によって切り拓かれるのではなく、“深い専門性”をもった複数のエリートが集まり、それぞれの得意とするところや強みを活かしながら、協力して創成される。リーディング大学院プログラムで輩出される表面的な博識、つまり評論家のような人物が集まったところで、いったい何ができるというのか。
(4)そもそも今の日本の大学教員は、総じて真の意味でグローバル化の感覚を持ち合わせていない。彼らに教育された学生が、どうやってグローバル感覚を身に付けられるのか。まずは教員のグローバル教育、意識改革から始めるべきだろう。また、グローバル感覚をもち、経験も豊富な教員を、大学が積極的に採用する必要がある。
以上の問題はあるものの、評価できる点もなくはない。それは、大学院生に対する経済的支援の充実である。海外の多くのPh.D.コース(大学院)では、ごく当然のこととして、授業料免除と生活費支給が行われている(大学院によって額は異なるが、平均的に、学生一人に支給される生活費は年間$20,000~$25,000)。日本のように、24~26才の大学院生が親のスネをかじって大学院にいること自体が異常であり、また、スネかじり状態では学生に自立精神や責任感など生まれない。リーディング大学院プログラム採択拠点では、そのプログラムに受け入れられた各大学院生に5年間、毎年250万円~300万円の経済的支援が約束され、授業料も免除されるので、これについては評価に値する。
以上、真の意味でのグローバルな大学院教育の充実は、日本の将来にとって最重要課題だ。現在、日本の国際競争力は世界59カ国中26位である(表1)。調査を行ったスイスのIMD(経営開発国際研究所)は日本の弱みの一つとして、大学教育をあげている。国には、今までの失敗や問題点を具体的に洗いだし(特にCOE・GCOE事業における失敗)、その上で、有効な教育への投資プランを国民に見せていただきたいし、国民も、投資家である自覚をもって、厳しい目で国の教育政策をモニターしていただきたい。