2010年8月23日月曜日

2010年8月22日

ひょんなきっかけで「やわらかな心をもつ」という、小澤征爾と広中平祐の対談をまとめた昭和59年に発行された本を読んでいる。結構色々と共感する部分があって、読んでて気分がいい。 僕は中学2年のころ、広中平祐さんがフィールズ賞をとったあと文化勲章をとられて、テレビや新聞にもよく出られるようになり、僕はとても興味を もって広中平祐さんのことを読んだ。僕は、すぐ人に影響をうけるので、そのころ「高校への数学」という雑誌を購読して数学の問題を解いていたけど、こんな んじゃダメだと思って、「大学への数学」という雑誌を購読し始めた。ちょうどその時、一年間イタリアに住んでいたため、広島学院を休学していた、ひとつ上 のY君が同じクラスに入ってきた。彼の両親は2人とも京大数学科出身の数学の大学教授だった(両親がイタリアで数学の研究をする為に一年間イタリアに家族 で住んでいた)。Y君も両親の影響で、数学がとても好きでよくできた。それで、僕ととても気があって、2人で「大学への数学」じゃ物足りないなという事 で、Y君の両親がもっていた、大学で使う数学の分厚い本(本の名前は覚えてないけど、統計のなんかの理論のような教科書だったと思う)を2人で勉強したの を覚えている。いつもY君の家で勉強会をやっていたので、わからないところは、お父さんとかお母さんが丁寧に教えてくれていた(大学教授なのに、なぜか両 親ともいつも家にいた。。。)。また、ちょうど同じ時期に、アメリカから広島の原爆研究所(ABC)に研究に来られていた家族の子供のMark という同年代の子と知り合った。Mark のお父さんもたまたま統計学が専門の著名な数学者でUniversity of Rochester で教授をされていた。そんなわけで、Mark の家に遊びに行く度に大学レベルの統計学を教えて貰った。
そんな訳で中学生の時にかなり数学にはまってしまったので、高校にあがる頃にはその辺の数学専攻の大学生と同じくらいの実力はあったと思う。中 学・高校の時には学校の数学の試験はアホらしかったので、Y君と試験問題を解くだけでなく、どちらがはやく数学の試験問題を全て解けるか、を競争してい た。だいたい50分くらいの試験問題は15分くらいで僕らは解いていたと思う。しかし、Y君はいつも100点をとっていたのだけど、僕は必ず凡ミスをし て、いつも90点とか95点だった。数学の先生は、いつも僕に「佐藤は数学メチャできるけど、絶対100点は取れんよね」といっていた。そのおかげで、ク ラスのなかでは「100点絶対取れない、佐藤」といわれていた。しかし、僕は実はそういわれるのは、結構内心喜んでいた。僕は100点取れる人間はあまり 好きではない(つまり完璧な人間)。そのころからそう思っていた。だから、メチャできるけど、凡ミスで95点しか取れないというのは、結構僕らしくて良い な、と自分自身喜んでいた。まあ、タダの負け惜しみというヒトもいるけど。でも、これが僕なので。。。。ご勘弁を(笑)。