2010年8月3日火曜日

2010年8月2日

日本では、年齢差別がある。普通にある。例えば、履歴書に生年月日を書く。人事の選考で、普通に年齢に関して論議される。日本では、学校、職 場、地域、ありとあらゆるところで、先輩、後輩の関係というのが、尊ばれる。一才違いでも、先輩は先輩、後輩は後輩だ。このような、カルチャーだと、やは り皆、あらゆる局面で、自分と関わる人(人達)の年齢が気になる。このメンタリティ-が少なからず、日本での年齢差別に繋がっているのかも知れない。 僕は子供の頃から、この先輩、後輩、また、年齢差別が、とてもいやだった。その幾つかの例:
  • 僕は中学、高校と6年間、広島学院のバスケット部に入っていた。中2から高校3年まで、スターティングメンバーで活躍していて、インター ハイにもいったし、広島県の国体選手にも高校2年生、3年生と選ばれた。だから、中2から高3まで、チームの中でもバスケの実力は先輩の多くの人たちより 上だった。ということで、下級生だからといって、自分より下手くそな先輩にはまったく先輩としての尊敬の念ははらっていなかった。僕より下手なベンチウ オーマーの先輩に遠征の時に、下級生が持つはずのボールをもって貰ったりしていた。今だと、このような態度はとらないけど、十代とはそんなもんなのかも知 れない。でも、とにかく、ただ自分より年上という理由だけで、実力が下の先輩にヘイコラする事はできなかった。
  • 僕は小学校の頃から研究者になりたかった。だから、もちろん大学院に行くこともすでにその頃決めていた。でも、日本で大学院に行きたくな かったし、日本で研究者にはなりたくなかった。その理由の1つは、当時では、いくら実力があっても、大学は絶対4年間、大学院は博士をとるまで5年間は勤 め無ければならなかった。僕はこのように、実力とはまったく関係ないこと、つまり年齢で僕の将来を縛られることは許せなかった。もうひとつの理由は、博士 号をとって、ポスドクをしたあと、例えば大学で研究をするとなった時、日本の大学では、いくら実績、業績、実力があっても、年功序列で、若くして教授には なかなかなれないと、当時聞いていた。そんなくだらないことで、僕の研究人生を棒にふりたくないと、子供ながらに思って、日本で研究などしたくないと思っ た。
僕自身、このようなことは今でもいやなのだけど、ではなぜ日本に帰って来たか?「そんなにいやなら、アメリカにいれば」と多くの人は思われると 思う。(実際、僕は自分が一生アメリカで研究しようと思えば出来るわけだし。。。。 終身雇用のTenureもとってるし、研究費だって、以前書いたように、沢山あったわけだし。。。。。給料だって今の約3倍だったわけだし。。。。。どう 考えても、  それらを棄てて日本に帰って来る理由が見当たらないわけだ。。。。)
その1つの理由は、僕と同じような考えや思いをもっている人たちがドンドン海外に出ていってしまっては、日本はいっこうに変わらないわけだ。だ から、僕は、あえて日本に帰って来て、僕のような違う視点での意見を積極的に日本国内でいうことや、僕の日本での動向を見て、僕みたいな思いで実力のある 研究者が日本に少しでも多く帰ってくればで、日本を、「実力のある研究者が研究しやすく、その実力を存分発揮出来る」、国に変えて行けるのではと思う。こ れが、僕が日本に帰って来た幾つかの理由の1つだ。
もう1つの理由は (続く)。