2010年7月24日土曜日

2010年7月23日

僕は基本的には日本でしか価値が認められていない日本語の論文、招待講演、賞はよほどのものでない限り自分のCV(履歴書)には載せていない。 基本的には日本語の研究総説は時間と労力の無駄なので書かない。アメリカにいるときに知り合いの研究者に頼まれて、2回くらい日本語の研究総説を書いたけ ど、僕自身が書いたのではなく、当時僕のラボにいた日本人のポスドクが全て書いた。僕は助言をしただけ。日本の研究者には日本語の総説も大切という事で、 その日本人のポスドクの日本での将来のために引き受けた。 日本にかえって来て、日本語の文章を依頼されて雑誌に書いたり、日本語の講演を頼まれたりして、それらの依頼を引き受けている。これらは僕自身 の研究経歴としては存在しないものだし、僕のCVにも載らない。でも、僕は日本に帰って来て、英語のわからない日本人の方々にも、僕の意見を聞いて貰った り、僕の研究について理解して貰う必要性と義務はあると思っているので、快くこれらの依頼を引き受けている。
でも、僕の研究履歴のためには、今までどうり、International なレベルでの海外の有名な学会やシンポジュウムでの招待講演に呼ばれ続けるように、世界でトップの研究レベルを維持しないといけない。多くの日本人の研究 者は日本国内での招待講演で満足していて、彼等・彼女等の多くはGordon Conference、Keystone Symposium,  Cold Spring Harbor Symposiumなどにはほとんど招待されない。アメリカではこれらのSymposium に招待されるのはトップの研究者としては、最小限で当たり前のことだ。日本人の研究者はこれらにたまに招待されると、なにかの賞を貰ったかのように Honorに思う人達がいる(実は、アメリカでもこのような研究者は時々いるので、別に日本人に限ったことではないのだが)。小さい人間。