2010年3月18日木曜日

2010年3月17日

僕は未だに頭の中で物事を考える時は英語だ。英語のほうが複雑なことをすっきり考えるのには適した言語(少なくとも僕にとっては)だし、多くの ことを論理的に整理するのに適している。日本語だと、複雑なことがもっと余計に複雑になり、物事の本質をすっきりと単純化することが非常に難しい。サイエ ンスは複雑な問題を出来るだけ単純なすっきりした形に置き換えることをしないと、何が本質的な問題か分らなくなるし、その問題点を根本的に解決するための 糸口を見つけ難いと思う。 僕は今でも、書くのも、読むのも、英語のほうが日本語のほうが楽だし、速い。聞くのもそうだし、喋るのもそう。日本語だと聞いててもなかなか要 旨がつかめないし、聞く集中力長く続かないし、右の耳から入って左の耳にすぐ抜けていくと言った感じである。喋るのも、英語のほうがスラスラ出てくるし、 日本語だと中々言葉が出て来ないのでドモリがちになる。
僕は夢も英語である。昔の日本人の友達(例えば高校のときの友達)や今のNAISTの学生さん、同僚の方々全て皆、僕の夢のなかでは英語で話している。
これからの僕にとっての課題は、この英語力を損なわないで(実はもっと英語力もブラッシュアップしたいと僕は思っている)、さらに日本語力(読み、書き、聞き、喋る)をアップするということである。