芸術に関しては、正しい見解だが、サイエンスに関しては全くもって間違っている。日本はサイエンスに関していえば、鎖国のおかげで、議論をすることを抑圧する文化が育ってしまい、サイエンスは後退したと僕は考える。論理的説明のキャチボールという「議論」という行為が抑圧されたところにサイエンスは育たない。
もちろん、サイエンスにおいて好奇心はとても大切である。しかし、サイエンスは鋭い論理展開、論理的思考がとても大切であると僕は信じている。このEditorial にかかれた方の、日本で花開いたバイオサイエンスの例をみてみると、好奇心の部分は良いのだが、やはり鋭い論理展開性にかけると、僕は思う。
一般的に、論理展開、論理的思考は、太古の昔から日本人のもっとも不得意とするところだと僕は思う。僕は子供の頃から論理的思考をもっとも大切にしていたので、周りから「理屈っぽい」とよく嫌がられた。
日本人の多くは、しっかり頭を使って考えることを嫌うので、論理的な展開という事をとても嫌うし、また面倒くさがる。したがって、論理性を極めないといけなくなると、すぐに「まあまあ、そういわずに」「そうはいうけど、いろいろあるのよ」とすぐにはぐらかされる。
これからの若い世代の人たちには、「論理性のキャチボール」という能力を子供の時から養ってもらいたい。。。。。周りからは嫌がられるけど、無視して強く生きて下さい。