2011年6月10日金曜日

2011年6月10日

今日、ある雑誌のEditorial に、ある日本人の研究者の方が、江戸時代には日本が鎖国時代にあり、そのおかげで、Pureな好奇心にもとづいた独特の芸術とサイエンスが花開いたと述べられていた。

芸術に関しては、正しい見解だが、サイエンスに関しては全くもって間違っている。日本はサイエンスに関していえば、鎖国のおかげで、議論をすることを抑圧する文化が育ってしまい、サイエンスは後退したと僕は考える。論理的説明のキャチボールという「議論」という行為が抑圧されたところにサイエンスは育たない。

もちろん、サイエンスにおいて好奇心はとても大切である。しかし、サイエンスは鋭い論理展開、論理的思考がとても大切であると僕は信じている。このEditorial にかかれた方の、日本で花開いたバイオサイエンスの例をみてみると、好奇心の部分は良いのだが、やはり鋭い論理展開性にかけると、僕は思う。

一般的に、論理展開、論理的思考は、太古の昔から日本人のもっとも不得意とするところだと僕は思う。僕は子供の頃から論理的思考をもっとも大切にしていたので、周りから「理屈っぽい」とよく嫌がられた。

日本人の多くは、しっかり頭を使って考えることを嫌うので、論理的な展開という事をとても嫌うし、また面倒くさがる。したがって、論理性を極めないといけなくなると、すぐに「まあまあ、そういわずに」「そうはいうけど、いろいろあるのよ」とすぐにはぐらかされる。

これからの若い世代の人たちには、「論理性のキャチボール」という能力を子供の時から養ってもらいたい。。。。。周りからは嫌がられるけど、無視して強く生きて下さい。