僕は1981年に当時まだ共通一次試験とよばれていた時代にこの全国共通の試験を受けた。僕の覚えている限り、自分自身「こんなアホみたいな試験で俺の能力を点数化してくれるな」と思いながら受けた覚えがある。だから、共通一次試験のための受験勉強はほとんどゼロで受けた。自分自身、試験対策なしでどれくらいの点が取れるか興味をもって受験した。うる覚えだけど、全部の合計点は800点を少し超えるくらいだったように覚えている。
僕は筑波大学を受験したのだけど、二次試験対策もゼロで受けた。前にも少し書いたと思うけど、それには二つの理由がある。
***ひとつは筑波大なら試験対策の勉強なんかしなくても余裕で合格すると思っていた。
***もうひとつは、万が一落ちてもアメリカの大学に行けばいいと思っていた。必死こいて日本 の大学に入るほど格好の悪いことはないと思っていた。
そんな具合だから、二次試験もほとんど遊び感覚で受けた。当時はクイーンとスーパートランプにはまっていて、試験開始直前までガンガンにBicycle、Breakfast in Americaなどの曲をウオークマン(当時はこれでカセットに録音した音楽を聞くのが流行っていた)で聞いていた。
また、ただ試験問題を解くだけではつまらないので、試験開始前に試験用紙の裏から透けて見える問題を読んで、試験開始前までに何問解けるかというようなことを試したり、全部の問題をどれだけはやく解けるかみたいなことをして、ひとりで楽しんでいた。こんな具合だから、当時はなんで皆そんなに目の色かえて受験勉強みたいなアホらしいことをするのか理解に苦しんでいた。受験勉強をすればするほど頭が腐る、と僕は真剣に思っていた。
僕は受験勉強はしないかわりに、自分の信ずる本当の勉強は沢山真剣に毎日コツコツやっていた。バスケットの試合、遠征の時も必ずこれらのための勉強の本を持って行って、時間があれば勉強していた。ホテルの部屋、試合と試合の間の待ち時間も勉強していた。広島の国体チームのメンバーとして高2の時に夏合宿に参加した時も、合宿所でちゃんと時間を見つけて勉強していたから、他の高校から来ているメンバーからは異様な目で見つめられていた。だから、勉強していなかったわけではなくて、受験勉強はしないけど、自分の信ずる本当に頭を使う自分で考える勉強は半端じゃないくらい沢山真剣にやっていた。
日本の大学受験に関して今でも思っていることがある。日本では、東大、京大、阪大、旧帝大、早稲田、慶応、一流大学、有名大学とかなんとか言われているけど、世界レベルでみたら(特にアメリカ、ヨーロッパ、中国)、東大も私立大学も地方大学も、日本という小さい国のひとつの大学に過ぎない。これから世界のグローバル化がドンドン進むことは間違いない(これは変えようもない事実)。このような時代に日本の中での有名大学卒業なんてほとんど意味をなさなくなる(これも確実)。もっと、世界レベルからの視点で物事を見て、世界中の大学に自分の選択肢はあると思って、自分が最もしっかり学べる、自分にあった、将来の自分の同志を見つけられる、こういった大学を世界中から選んで、そのような大学に進学するのがベストだと僕は思う。そのためには高い英語能力は絶対必要。若い人達は、今世の中を動かしている日本人のオジサン、オバサン、両親、または自分の中・高校の英語の先生たちの英語の実力を見て、「あれ位で良いんだ」なんて思っちゃいけない。これらのひとたちは遠い昔の世の中で教育を受けた人達で、これからはあの程度の英語力では生きていけない(就職出来ない)。だから、子供の頃から、日本語の読み書き、高いレベルの使える英語能力、論理的思考能力、人とうまく関われる能力、ストイックな持久力、これだけは最低限しっかり身につけてください。そうすれば、世界中どこでもやっていけます。
とにかく、視点を世界レベルにかえてほしい。日本なんてホントに世界の中のほんの一部でしかないことを若い頃から認識して欲しい。
追伸
今日の朝刊に出ていたセンター試験の英語、地理B、現代社会の問題を解いてみた。英語(もちろんリスニングはできないが)は満点。地理Bと現代社会は8割強くらいの正解だった。明日の朝刊に出る数学、理科も解いてみようと思う。